ブログ36 「ソウルフルワールド」鍼灸と哲学①

2022/02/21

ピクサーの「ソウルフル ワールド」という映画を観ました。


ジャズ・ピアニストを夢見る中学校の音楽教師ジョーは、ある日ニューヨークで一番有名なジャズ・クラブで演奏するチャンスを手に入れるが、浮かれ気分で街を歩いている最中、マンホールへ落下して死んでしまう。
 

ジョーが目を覚ますと、人間が生まれる前のソウル(魂)の世界におり、彼自身もソウルの姿となっていた。


この世界では沢山の小さなソウルたちがいて、生まれた後「どんな自分になるか」
その礎となる「きらめき」を得るための教育を受けていた。

 

そこで無事、きらめきを見つけ、通行証を手に入れれば地球で生まれることができるのだが、人間に幻滅していた22番という名前(?)のソウルは、自分のきらめきを見つけられず、何千年も生まれることを拒否し続けていた。
 

そこで出会ったジョーと22番はひょんな事から地球に落ちてしまい、ジョーのソウルは猫に、そして22番は仮死状態だったジョーの体に入ってしまう。
 

クラブのステージが始まるまで時間はわずかしかなく、一刻も早くステージに立ちたいジョーと、ソウルの世界に帰りたい22番はニューヨークの町を駆け回るのだが、次第に22番の中で何かが変わっていく。
 

 

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 という話なんですが、実はこれ、哲学の映画なんです。

監督のピート・ドクターも、このアニメは古代ギリシャのプラトンやアリストテレスの本質主義から、サルトルやキルケゴールの実存主義に至る話だと、インタビューで言っています。


 

 古代ギリシャの哲学者プラトンの提唱した「イデア」とは、アイデア(idea)とかイデオロギー(ideology)などの語源になっている言葉で、そのものの本質という概念。「本質主義」と言います。




 

 「イデア」とは、 

例えば、紙に正円をフリーハンドで書いてみてください。どうしても歪んでしまいますね。

 

じゃあコンパスを使うと?

いい感じ。でも拡大するとアラが目立ちます。

 

それでは、パソコンで書くとどう?

いや、それも顕微鏡で見たらなんかギザギザしてる。


 

 そう。心の中にある完全な正円というものは、この世には存在しないのです。
 

 
 肉眼で見えるものの全ては、見ている本人が思い描いているものに過ぎず、プラトンは「真の認識とは想起(アナムネーシス)にほかならない」と言っています。


 

 イデア、とは。つまり「心の目」で見える完全なもの、本質、という意味です。



映画の中で、イデアは「きらめき」と語られていました。
 

生まれる前のソウルたちは、地球で生きた事のあるメンター(師)の人生を振り返り、そこで何らかの"きらめき"を得られたものだけが地球に向かうことを許されます。
 

22番にも、リンカーンやマザーテレサ、コペルニクスなどの偉人たちのメンターが付けられますが、そこにインスパイアされることはなく自分の殻に閉じこもっていました。


 

 


 話は戻ります。


プラトンが生きていた紀元前3~400年から約二千年後、その概念を根底から覆す人が現れました。


彼は「神は死んだ」と、宗教すら否定します。
 

かつてジョンレノンが「ビートルズはキリストよりも人気がある」と、ちょっと発言しただけで社会問題になるほど、欧米のキリスト教信仰といえば絶対的なもので、今の日本で言えば「お金」みたいなものでしょうか。

 

例えば今「こんなもの、ただの紙切れだ」と言いながら、札束で鼻をかみ、耳をホジホジ、挙句お尻を拭くようなユーチューバーが出てきたらどうなるでしょう。

 
ばっちい。いや、ネットニュースやSNSで叩かれ、炎上必至でしょう。



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ニーチェの唱えた「ニヒリズム(虚無主義)」は、「実際に目に見えるもの」が全てという思想。
 

「実存主義」と呼ばれているものです。


 

 かく言う僕も「ニヒルな奴め」なんて、よく言われたりしますが、ウソ、言われた事はありませんが、その語源でもあります。

 
 どちらかと言うと、ニヒルというよりも、アヒルでしょうか。ガーガー。

 
 なんて、つまらない親父ギャグを言うようなニヒルはいませんね。

 

 でも、ニーチェはもしかしたらニヒルな奴、だったのかもしれません。

 
 下のニーチェの言葉、ニヒルな気分で「古畑任三郎」風に読んでみると分かりやすいと思います。



「人間は神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか」
 

「地球は皮膚を持っている。その皮膚はさまざまな病気も持っている。その病気の一つが人間である」
 

「実は、希望は一切の悪のなかでも最悪のものである。なぜなら人間の苦悩を引き伸ばすからだ」
 

 

  ふっ。
 


 う~~~ん、似てないっ!
 

 っていうか、病んでます。ニーチェ。

 大丈夫か? ニーチェ。
 

 温かいシチューでも作ってあげたくなります。


 
 目に見えるものだけを信じた結果、世界には絶望しかないと知ってしまったのです。

 

 
 
 もし「神」がいるのだとしたら、なぜ人を不平等に作ったのか。

 病気で早死にする人もいれば、悪い人間がふんぞり返って長生きしている。

 人々は、いがみ合い、憎しみ合う。戦争はいつまで経っても終わらない。

 

 このような考えは「消極的ニヒリズム」と言われます。

 

 
 しかし、ニーチェは負けません。

 
 だって、

 男の子だから!

 
 
そこからその思想を転換させていくのです。

 


 「人生に何の価値もないのだとしたら?」
 

 
 「どうせいずれ死ぬんだし、世界に希望がないんだったら」



 そう。
 


  「楽しまなきゃ、損じゃな~い!!」と。 
 

 

 
こう言った考えを「積極的ニヒリズム」と提唱しました。

自己啓発やビジネスなどで活用されているポジティブシンキングの源流です。

 


 



映画の中で語られるニヒリズムは、ジョーとなった22番がニューヨークの街の中を歩き回る場面に描かれています。


「街中、人だらけで車もうるさい。地下鉄は臭くて暑くて、みんな暗い顔しているし、おじさんに怒鳴られて怖かった。でも、

 
食べ物はメチャ美味しいし、ストリートミュジュシャンの歌はすごく良かった! たくさんの人々の営みや、顔に当たる風、匂い、それに舞い落ちる木の葉がとても美しくて感動した。歩くことって素晴らしい!生きるってすごい!わたしの"きらめき"って、きっとこのことだったんだ!!」


 
 良いことも、悪い事も含め、世界は感動に満ちていたのです。


 人間に幻滅していた22番の心は大きく変わり、この世界に居たいと思います。


 
しかしジョーは「そんなの、ただの生活の一部じゃないか」と窘めます。


 そんなもの、きらめきじゃない、と。

 

 
 そこでは、その二人の間に、本質主義と実存主義の両者に於ける「きらめき」の齟齬が生じています。

 大人と子供の「感動」に対する温度差は、果たして「風化」の一言で終わらせてしまっても良いのだろうか、と問われているようにも感じますし、ジョーや大人達が見えない鎖に縛られているようにも見えます。


 

 「生きる」とは?



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その後、ジョーは無事に自分の体に戻り、ステージに立つことができました。
スタンディングオベーションで終わったライブは大成功。
ずっと憧れていたサックスプレイヤー、ドロシアからも絶賛されます。

これで、夢だったジャズミュージシャンへの道が開けました。

 

 でも、なにかしっくり来ません。

 思ってたのと違う、と感じます。



ジョーは帰り際、ドロシアに「このあとは、何を?」と聞きました。
するとドロシアは「明日もまた同じことをするだけよ」と答えました。

そして、何か煮え切らない感じのジョーの顔を見て、ある話をしました。


「こんな魚の話がある。

彼は年長の魚に言った。 ”海を探しているんです”

年長の魚は ”海か、今いる所がそうだよ”

魚は ”これ?これは水です” ”僕は海が欲しいんだ”」


ドロシアはこの時、ジョーの気持ちが分かっていたんでしょう。

 そして、このあとどうするべきかも。


 

ジョーは家に帰り、ピアノの前に座ると、楽譜を下ろしました。


そして、その代わりにそこに置いたのは、食べかけのドーナツや、床屋でもらったキャンディ、お母さんにスーツを仕立ててもらった時の糸巻き、手のひらに落ちた木の葉。

 
 
 それは、22番が集めた"きらめき"のかけらでした。

 

 ジョーは、その”きらめき”を見ながらピアノを弾き、今までの人生を振り返ります。


 子供のころ父親と一緒にレコードを聴いた思い出や、

 自転車に乗っているときに感じた風や木漏れ日

 
 高層ビルの間から上がる花火、

 砂を溶かすように流れるさざ波の感触

 黒板にチョークを当てた時の硬い音


 年老いた父親にピアノを聴かせた思い出や、
 
 子供達に音楽を教えていた日々の記憶。




 その時ジョーが気づいたこと、そして22番がソウルの世界でずっと抱いていた違和感とは、その事だったのです。

 


 22番がずっと得ることのできなかった"きらめき"とは「目的(夢)」の事で、
 

 
 ジョーが気づいた本当の"きらめき"とは

 「その時の一瞬一瞬を楽しみ、生きること」







 22番が髪を切りに行った時、床屋のバズは「本当は獣医になりたかったんだ」と言いました。

「でも、お金が無かったから床屋になったんだ」


「それは残念だったね」と22番が同情すると、バズは「そんなことない」と言いました。


「毎日みんなの髪を切って、いろんな話しが出来る事が最高にハッピーなのさ!」

 

 
 きらめき、とは最終地点にあるものではなく、その途中途中、日々の生活の中にあるものだったのです。

 
 
 それはただ歩く事だったり、ご飯を食べて美味しいと感じたり、人と話して笑ったり、

 でも時には悲しくて泣きながら雨に濡れ、ずぶ濡れになって歩いたり、怒られて落ち込んだり、引きこもったり、死にたいと思ったりする事もあるけど、

 
 空を見て、風を感じ、前を向いて歩く。生きていく。






 「生きる」とは、


 毎日の生活の中で感じる一瞬の"きらめき"の蓄積。


 
 そして「夢」や「目的」とは不変的なものではなく、その"きらめき"たちが誘導する、ただの「結果」に過ぎなかったのです。


 



 (おわり)

 
 
 おわり。じゃなくて、まだ本題に入ってない!

 

 本当は鍼灸と哲学についての話を書こうと思っていたんですが、テーマ(目的)とは違う所で話が終わってしまいました。

 

 そう、

 
 これが実存主義。

 
 これがニヒリズム。



 

 「こんばんは。田村正和です」


 

 次は鍼灸と哲学についての新(?)解釈をお伝えしたいと思います。

 


「ソウルフル ワールド」はディズニープラスで配信中。


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