ブログ25-2「支え2」

2019/01/25

働き始めて数ヶ月が経った頃、いつもの時間に出勤するとタイムカードの機械の前でリンが泣いていた。

 

出勤時から彼女が泣いているのは何度か見かけたが、少しいつもと様子が違っていた。

いつもは、だいたい何かの文句を大声で言いながら怒りながら泣いているのだが、その日は小さな子供のように、両手で顔を覆いながら泣いていて、小さな嗚咽が溢れていた。
 

声をかけると、真っ赤な目をしたリンは「死んじゃったの。」と涙をこぼしながら言った。

僕は、ペットか何かが死んだのかと思って「何が死んじゃったの?」と聞くと、ボソボソと小さな声で答えたのだが、中国語のようだったので理解できなかった。

もう一度聞き返そうと思ったが、深く首を突っ込むと、こいつの性格上めんどくさいことになる経験は何度かしていたので、そのまま放っておいた。


 

そして、着替えて仕事の準備をしていたんだが、何か様子がおかしい。
 

よく見たらリン以外にも泣いている子がいて、仕込みをしていた料理人たちも、やけに静かだ。顔を合わせると必ずふざけてくるヨウさんまで絡んでこない。

 

 

事務所から戻ってきた店長に「誰か、亡くなったんですか?」と聞くと、



店長は「テレサ・テン。」と答えた。


 

全く意味がわからなかった。もちろんテレサ・テンの名前は知っている。テレビでよく見る大スターだ。昼のニュースで亡くなったのも知っている。

僕が驚いたのは、会ったこともないようなテレビの中の人が死んだ事で、まるで知り合いが亡くなったかのように泣いている人がいるということだ。

僕だったらいくら好きでも、哀しい気持ちにはなるだろうが、泣くことはない。



その時は、そう思っていた。


 

その日は仕事中も静かで、いつも怒号が飛び交っている厨房の中の料理人たちも静かに黙々と調理をし続けていた。

チーフもヤンさんを蹴り飛ばすことはなく時間が過ぎていき、その日の営業は終わった。

 


賄いの時間はまるでお通夜のようだった。

誰かが持ち込んだテレサテンのCDが店のスピーカーから流れると、何人かの女の子が泣きだした。その日ばかりはチーフも大盛りご飯を出すことはなく、目を閉じて音楽を聴きながら酒を飲んでいた。

 


テレサテンに何の思い入れもなかった僕は所在なく、少し離れた席で店長と賄いを食べながら「テレサテンって、演歌の人ですよね?」と、演歌のスターが死んだことで何故お通夜みたいな雰囲気になっているのか?という意味を含ませながら聞くと、店長は、その含ませた意味を理解した上で「違うんだよ。」と言った。

 

営業前のミーティングの時、店長はチーフからテレサテンの話をされていて、僕にその話をしてくれた。


 

テレサテンは台湾出身で、本国では「台湾人の心」みたいな大きな存在だということ。


特に今日本で働いている台湾人は、一人で日本に渡って来たテレサテンを自分と重ね合わせている人が多く、ただのファン以上の思いがあること。


 

僕はその話を聞いた時に、少しだけわかったような気がした。
 


当時は現在ほど、日本に在住している中華圏の人々の人口は多くなく、店の客層も外国人よりも日本人の方が多かったのだが、中には中国人だとわかると嫌悪感をあからさまに表す日本人客もいて、心ない言葉を浴びせられている場面を何度も見た。

人種差別まではいかないが、中華圏の国の人を見下す日本人は少なくなく、たぶん仕事場以外でも嫌な思いをしているスタッフも多かったはずだ。(時折、日本語で聞こえるリンたちの怒りは日本人に向けてのものが殆どだった。)


 

悔しい思いをする度、彼らは同じように一人で日本に来たテレサテンの事を思っていたもかもしれない。きっと、みんなにとってのテレサテンは、本当の家族のような存在で、心の支えだったのだろう。

 

もしかしたら、いつもの賄いの席にもテレサテンがいて、みんなと騒ぎながら一緒にご飯を食べていたのかもしれない。

 


 

店のスピーカーからは「つぐない」が流れていた。

 


 

雨上がりの夜空に

 

 

それから13年後、忌野清志郎が死んだ。


 

僕は、結婚して横浜に住んでいた。

特にすごいファンだったわけではなく、CDを1、2枚持っている程度だったのだが、RCサクセションの曲は高校の時に良く聴いていたので、ニュースを聞いた時はちょっと信じられなかった。


 

清志郎が死んだ数日後、ベランダで洗濯物を干していた妻が「なんか変な虫がいる」と、僕を呼んだ。

背中にハートマークが付いた虫を見て、「清志郎みたいだね」と、妻が虫に話しかけているのを聞いていた時、数年前にフジロックで見た清志郎を思い出した。


 

その日は昼間から天気が悪かったのだが、夜おそい時間に始まった清志郎のライブが始まると雨が止んだ。

そして「雨上がりの夜空に」が演奏されると、歌詞の通り、雲の切れ間からダイヤモンドのような星が見え、どこまでも届きそうな清志郎の声が苗場山の奥まで響き渡った。

 


その声を聞いた時、僕は気が付いた。

 

高校生の頃、いつも聴いていた「トランジスタラジオ」や「スローバラード」は、大人になってからは殆ど聴かなくなってしまったが、あのころ毎日聞いていた清志郎の声は僕の中にいつのまにか染み込んでいていて、体の一部のように常に僕の中のどこかにあったのだ。
 


清志郎の声は、あの頃のままで、僕に「思い出せ!」と言っているようだった。


 

本当の純粋な自分でいられる期間とは、子供から大人に変わる高校生とか大学生くらいの、ほんのわずかな間だけで、社会に出ると色々ななものを背負わされ、純粋な部分は隠されて忘れてしまう。


社会のしがらみを一切抱えず、子供のまま大人になって死んでいった清志郎に憧れる人は、昔のアルバムを見るように、何も背負っていなかった純粋だった頃の自分を思い出し、大事なものを無くしてしまったと後悔するが、別に無くしてしまった訳ではなく、高校生だった自分は常に自分の中にいる。

大人になって、流行りのブランドの服に身を包んで、まわりの人間と同じようにしてみても、本当の自分はあの頃の垢抜けない自分で、実は何も変わっていない。
 


大人になって得たものは簡単に捨てられるが、その頃に得たものは捨てることはできない。みんな忘れてしまっているだけで、自分の一部となっているそれに寄りかかって生きているのだ。

 



 

あの台湾料理屋で泣いていたリン達は日本人よりもずっと純粋だった分、テレサテンが死んだ時に自分の一部を失ってしまった痛みが強かったのかもしれない。

 

会った事のないテレサテンを心の拠り所にしなければいけない程、彼らは故郷にいれば経験しなくても済んだはずの毎日を送っていた。

日本人が憎かったんだろうか。

日本が嫌いになってしまっただろうか。



悔しくて泣き、寂しくて泣いていたリンの涙は同じものだったのだろうか。





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